【第239号】仲間の定義

1.“ねばならない”で縛れるか

 会社の組織は「チーム」と呼ばれることが多い。そして構成員を「仲間」とする。同じ目標を目指し、同じベクトルで進んでいく人たちである。しかし、彼らが「頑張らねばならない」「目標を達成できないのは悪である」という環境に置かれている「仲間」だったら、本当に「仲間」として接していけるだろうか。
 そもそも「仲間」とはなんだろうか。岩波の国語辞典の定義では「いっしょに物事をする人」とある。同じ空間で仕事をする人は仲間と言えるのかもしれない。
 筆者は通しで読んだことはないのだが、「One Peace」という漫画のファンは大人から子供まで幅広い(筆者の周りの大人たちも、拳を突き上げたポーズが好きな人たちが多い)。なぜ、こんなにも共感者が多いのだろうか。

2.GIVE&GIVE

 困った時に助け合える、というのは、決して「GIVE&TAKE」ではない。お返しを気にしていたら、頼めないし、引き受けられない。部下指導でも「愛情を持って・・・」ということを聞くが、愛情を持って接すれば、見返りなど期待しない。仲間に対しても同じなのである。仲間を支援する、応援するというのは、見返りを期待しないのである。
 しかし、どうも「仲間なんだから・・・」というフレーズが多い。それは完全に見返りを期待してしまっている。「これだけやってくれないと困る」という関係は、仲間ではない。仲間であれば、やるだろうし、相手にやってくれることを期待するのは、相手が「変わること」を望んでいるのである。変えられるのは、相手ではなく「自分」である。「仲間」という枕詞をつければ、変わってくれると思うのは間違いである。支援される、応援されるところから、相互支援になっていくのである。

3.弱った時に

 弱った時の対応がカギになる。以前もこのコラムで紹介したが、人間は、弱くなると仲間から離脱しようとしてしまう。それをどれだけ防げるか、支えられるかが重要となる。「お前の仕事だから」「お前の役目なんだから」「やると言ったんだから」と言って突き放してしまったら終わりである。二度と仲間だとは思わなくなる。
 日本の社会が、成果主義が中心となり、下克上が組織の中で起こるようになって、「助けてください」と言えない雰囲気が強くなった。だから、何でも言える環境づくりが重要になってくるし、上司が気づくようにならないとダメなのである。実態は、上司が言えない雰囲気を作って、部下の顔色に気づかないケースが多いのだが。