【第153号】真実を見る目

1. どうやって真実を見るか

 選挙戦に突入した。今回の選挙ほど、争点が多くあり、またそれぞれの党・候補者の主張が微妙に違い、判断が難しい選挙もないのではないだろうか。
 普段、政治に不満がある人は、選挙権を行使しなければ意味がない。不満の矛先は政治家に向かわなくてはならない。そうでなければ出来の悪い評論家となってしまう。
 日々の仕事で、自分の上司を選挙で選ぶことはできない。しかし、社内で改善のための発言や行動は許されているはずである。それを行使していかなければ、社内は良くならないし、評論家ばかりになってしまう。
 その判断基準となる真実をどう見るか。会社の中であれば、「三現主義」というものがある。やはり現場を見るのが一番ということである。今回の選挙は、社会で起きている現実はどうなっているのか、党や候補者が言っていることは真実なのか(いつも選挙の時だけしか良いことを言わない、とも批判される)、の判断なのである。

2. 騙す方が悪いのか、騙される方が悪いのか

 この辺りになると、騙す政治家が悪いのか、騙される国民が悪いのか、という議論になる。どっちも悪いのでは、と最近感じるところであるが、企業の中では、透明性を高め、「騙す」「騙される」というのはあってはいけない。業績の状況が社員に開示されていない、評価の結果が社員にフィードバックされない、会社の方針が社員に明確に示されない、いずれもあってはならないし、あると「騙された」になるのである。
 騙す方に意図がある確信犯である場合は、騙される側の対抗手段は限られる。世の中に発信される情報は、国から報道機関(記者クラブ)経由のものが多い。国にも報道機関にも悪意があったら、あっという間に情報操作され、我々は騙されてしまう。
 企業もトップに悪意があれば、情報をクローズし、発信する情報に色をつけたら、それを信じるしかない。

3. 自分の考えを持つ意味

 一番まずいのは、自分の考えを持たず、流れに任せてしまうことである。「なんとなく」が一番怖い。会社でもトラブルになるのが、この「なんとなく」という判断基準で行われた行動である。あとで「何であの時、こうしたの?」と訊かれても「なんとなく」になってしまう。これでは、原因がわからない。
 何でこうするのか、こうしなければならないのか、必ず「自分の考え」を持つことが重要である。人に言われて、動くことこそ避けなければならない。
 そのためには、何が真実か、見極める目、その材料を仕入れるネットワーク、そして判断力を養うことが重要なのである。