【第147号】挨拶は誰とするものか

1. 挨拶はコミュニケーションの第一ボタン

 挨拶が十分にできていないという状況は至るところにある。難しいことではないはずである。子供の頃から、家庭でも学校でも指導、教育されてきたことなのである。しかし、できていない。筆者の事務所が入っているビルのエレベーター前には、必ず管理会社の社員の方がいる。この間も朝、通りかかりに先方から挨拶をされたので、「おはようございます」と挨拶を返した。その際、たまたま居合わせた違う会社の若い会社は、無言で筆者と同じエレベーターに乗った。
 挨拶ができていないのに、社内のコミュニケーションが良くなるわけがない。挨拶が出来ている会社の雰囲気は活気があるし、トゲトゲしさがない。
 挨拶は自分の気持ちを伝えるものであり、相手の調子を測るものでもある。元気があるのか、明るさはあるのか、声のトーンはどうか、顔の表情はどうか、など。

2. 「言われたからやるもの」ではない

 言わないとやらない、ではないのである。また、知らない人だから、違う会社の人だから、でもない。自分の周囲の環境を変えていくこと(心地よい気持ちを感じた人の集合体が、優しい雰囲気にならないはずがない)が、自分の気持ちを変えていくことになる。
 自分から挨拶をして、返してもらえなかったとする。別に損をするわけではない。しかし、いい気持ちはしない。何かものすごく嫌な気分になる。物質的な損失はないのだが、精神的ダメージは大きい。これは業務における大きなマイナスになる。こういう体験が続くと、結局誰も挨拶をしなくなる。
 大きな声で挨拶をすることが、「恥ずかしい」と思っている人もいるらしいが、本来は「気持ちのいい」ものなのである。

3. 人間関係を広げていくために

 近所の知らない人、同じビルに通勤している知らない人、そういう人たちとも、挨拶を重ねることで、次第に“知らない人”ではなくなってくる。ましてや同じ職場の人間と、どうして挨拶が不要な状況になるのだろうか。スムーズな業務の進行を考えるならば、円滑な人間関係が前提であり、その第一歩が挨拶である。
 挨拶を重ねていくと、これまで知らなかった人が知らなかった人でなくなっていく。社内では当たり前のことである。それを全員で実施していくことが組織の統一感が生まれる。
 ましてや、部下のことが把握できてない管理職はなおさらである。「最近の若いものは何を考えているのかわからない」と嘆く前に、挨拶をするべき。それもせずして、コミュニケーションロスを嘆いているのは、愚の骨頂である。