【第30号】「よく学び、よく遊べ」の精神を見直す

1.よく学んでいるか

 「よく学び、よく遊ぶ」はもしかしたら死語になっているのかもしれない。しかし、ここ最近それを意識する機会が増えてきているので、改めて考えてみたい。
 まず、「よく学ぶ」であるが、ここでいう“よく”というのはどういうことだろうか。学ぶとは、岩波の国語辞典を引くと①教えてもらって覚える②勉強する③経験して知る④まねてする というような意味がある。一般的には、「よく勉強する」という解釈だろう。
 社会人になって、「仕事を一生懸命やっているね」といわれることはあるが「よく勉強しているね」と言われることはあまりないはずである。それは、勉強することの意味が「学業や仕事などに精を出して励むこと」となっていることを知らないからではないだろうか。仕事も勉強であり、“精を出して”励まなくてはいけないのである。人に言われて勉強しているのでは、ここでいう「よく」ではない。自ら進んで取り組んで初めて「よく学び」と言えることではないだろうか。

2.よく遊んでいるか

 それでは一方の「よく遊び」はどうだろうか。最近は、仕事でヘトヘトになって遊ぶ暇もない、給料も上がらないから遊ぶお金もない、という人が増えているのではないだろうか。遊ぶも辞書を引いてみる。①実生活と離れて物事を楽しむ②有意義な働きをしない状態にある③家を離れて遠くにいく とある。特に①の意味の中の解説で、「古語では、心身を実生活から解き放って熱中・陶酔することで、歌舞・音楽・狩・宴会や宗教的行事をすることにも言った」とある。何もお金をかける必要などないのである。音楽を楽しむ、宴会を楽しむ、歌や踊りを楽しむ、などは、意識さえあれば、どこでも楽しめるものである。
 では、ここで言う「よく」とはどういうことか。古語の意味にある「熱中・陶酔」のレベルまでいけば、「よく」と言えるのではないだろうか。

3.バランスをとっていくために

 言葉としては単純でも、意味を調べるとなるほど、と思う。学びも遊びも「中途半端」にしない、ということである。そして、どちらかに偏らない、ということである。
 現在は、このどちらもできていないような気がする。勉強も中途半端、遊びも中途半端。もしくは、勉強だけで遊んでいない(遊んでばかりで勉強していない、という人は現代社会では、いないと思うが)。
 精神衛生上も、そして効率を考えても、うまく頭を切り換えて、「よく学び、よく遊び」を実践してもらいたい。そのためには、時間マネジメントや仕事の優先順位を考える習慣をつける必要がある。ワークワイフバランスの視点からも考えてもらいたい。