【第26号】競争心は「悪」か

1.競わせることとは

 社内に競争原理を持ち込まない企業も現れてきた。過度の成果主義により個人主義がはびこり、チームで成果を上げる仕事の生産性が低下したことが理由である。幼稚園や小学校の運動会でも競わせることを重要視しないように順位をつけなくなっている。
 競争は本当に「悪」なのだろうか。一定の枠の中で、競争をしなかったとしても、その枠外では必ず競争は発生する。特に“選んで”もらう必要のある分野ではそうである。入試であったり、入社試験、そしてビジネスの世界では、常に競争が行われている。
 「熾烈」という言葉がつく競争は、経験したくないが、競争が避けられないのであれば、どういう捉え方が必要なのだろうか。

2.「負けたくない」を打ち消せるか

 人間は「あの人には負けたくない」という気持ちを持っているものである。学問や知識だけでなく、容姿であったり、センスであったり。その気持ちは人を向上させるものにも通じる。しかし、負の作用もある。足の引っ張り合い、蹴落とし合いなどで自分が上に行こうとするのも「競争心」だからである。
 これには、子供のころからの教育にも問題があるような気がする。競ったあとのフォローや競争相手との関係の教育をしていないからである。「勝者を尊敬する心」「敗者の健闘を称える心」をしっかりと教えているだろうか。
 本当に「負けたくない」を打ち消していいのだろうか。その「負けたくない」の相手の設定が誤っているから競争心を活かせなくなっているのではないか。

3.良いライバル関係とは

 まず、職場の同僚を競争相手と見るなら、まずその相手のことを「尊敬」できていることが重要である。まず、認める、評価する、ことからスタートする。それが競争をプラスに変えるひとつのポイントである。
 もうひとつは、競争相手を「怠けている自分」や「弱音を吐いている自分」と設定することである。こんな自分ではいけないと奮起して頑張るのである。この方法は自己完結するので、人間関係が悪化することにならない。
 あるいは、お客様や得意先という考えでいけば、競争相手は、同業他社のライバル企業という捉え方ではなく、「お客様に支持されない状態となる可能性(あるいは支持されない状態となった自分たちの姿)」と捉える。
 「競争心」は人に負けまいと張り合う心と定義される。この「人」は仮想の人であっていいと思う。問題は相手の設定と捉え方。そうすれば、人の持つ「競争心」を活かして、個人の能力を高めたり、組織を活性化することができるはずである。