【第19号】「気づき」は日常生活の延長線上にある

1.自分の行動が見えているか
 世の中には、気の付く人と付かない人がいる。皆さんがどちらであるにしても、自分のことは見えないが、他人のことはよく見えるということを感じることが多いと思う。
 満員電車で背中に大きなバックを背負ったままの人、出入り口で立ち止まって数人で立ち話をしている人、いっしょのテーブルの人が食事中にも関わらずタバコを吸い始める人など、本当に良く目にする。いずれも自覚症状はない。他人に指摘されるまで、ずっとその(無神経な)行動を継続していくことになる。
 近年、他人のことを注意することが無くなって来ているが、それは、間違った人がずっと間違ったままで居続けるということでもある。つい先日も、娘とスポーツクラブに行った際、プールの更衣室でタオルを振り回していた男の子を注意したら、怒られた男の子は平然としていて、娘の方がびっくりしていた。「お父さん、なんで知らない人のこと怒るの?」。そういう時代になってきてしまっている。
2.相手の行動が読めているか
 人とすれ違うことや、追い越すことも難しくなってきている。携帯音楽プレーヤーを聴きながら歩いていたり、携帯電話をいじりながら歩いているので、人の気配に気づかない。そのために、ぶつかりそうになることが多々ある。
 相手の人はこれからどうしようとしているのか。それに気を回せる人になって欲しい。「喉が渇いているのか」「お腹がすいているのか」「座りたいのか」「帰りたいのか」。最近聞かなくなってきた言葉で「KY」というのが以前あったが、空気を読むのでなく、相手の気持ちを読むべきなのである。
3.「気づき」はすぐには身につかない
 人間ひとりでは生きられない。他人と何らかの関係を持ちながら生きていくしかない。ビジネスの世界では、「気付き」の感性がないと、仕事にならない職種も多い。
 自分のことでも相手のことでもイライラしない人は別として、人間なんらかの要求や要望はあるはずである。「こうしたい」「こうして欲しい」というものである。それに気付いてくれて、手を差し伸べてくれる人に対して悪い気持ちにはならない。逆に「ありがとう」という気持ちになるはずである。
 それが良い人間関係の基本であり、円滑な人間関係のスタートになる。
 これは、すぐに身に付くものではない。日々の積み重ねが重要である。家族でも同僚でもいい。身近な人の気持ちを察して、行動を起こしてみる。勘違いからスタートしてもいずれわかるようになる時が来る。失敗を恐れず行動することである。