【第7号】活字離れの意味するもの

1.読書の愉しみ

 昭和、平成を生きた偉大なる知識人・教養人であった加藤周一氏は著書「読書術」の中で、「映画やテレビも本には勝てない」と述べている。また映画やテレビは受身の楽しみ、読書は積極的な知的好奇心を満たす楽しみと、その差を指摘している。この本が上梓されたのが、1962年(光文社版)であるから、当然インターネットなどとは比較されていない。また、マンガやアニメのブームもこのあとである。氏は1992年にこの本(岩波現代文庫)のあとがきを記しており、ここでは「読書というこんなに安くて便利な愉しみを知らない人には同情する」とまで書いている。
 私も子供のころから図書館通いが好きで、小学校の時は読書クラブに入り、学校の図書室の本をほとんど読み尽くしてしまった。読書感想文も質より量(?)だったかもしれない。特に背伸びした内容・テーマの本を読むことが大好きで、父親の本棚は宝の山に思えたものである。

2.情報受信の姿勢の変化

 最近は本を読まない人が増えてしまったようである。加藤氏が亡くなられた時は、新聞やテレビで報じられ、こんなに有名人なのだからみんな知っていると思ったら、ある企業の若手幹部の研修の場で質問したところ、参加者十数人全員が知らなかった。あわてて、課題図書として読んでくるように指示したぐらいである。これは上記の通り、スイッチを入れれば、情報が流れ出てくる時代になれてしまい、こちらから積極的に自分の好奇心を満たすようなことがなくなってきてしまっているせいでもある。
 こうなってしまうと情報の受信感度が鈍くなってくる。活字からの刺激にくらべて映像の刺激の方が数倍強いからである。映像という瞬間のきらめきに目も心もくらんでしまう。

3.自己啓発とは

 自己啓発が常に「何かのため」になってしまっている。「良い会社に就職するため」「高い給与を得るため」などが目的では、ワクワク感などない。知的好奇心による自己啓発とは、そこにワクワク感が伴う。「どうしてなんだろう」「どうなっているだろう」という子供のころに感じたあの好奇心。それがない自己啓発は長続きしない。息苦しくなってしまうからだ。
 仕事がら多くの本を読むが、よく周囲から「そんなに多くの本をよく読めますね」といわれる。知的好奇心は時間があるから満たす(本を読む)のではなく、知的好奇心を満たすために時間を作る(本を読む)のである。