【第185号】世間の狭さを実感

1. ネットで狭まる空間

 ネットによる世の中の距離という概念の変化については、このコラムで何回か触れてきているが、その実感は強まる一方である。
 プライベートで名刺交換した方の携帯電話の番号を、個人の携帯に登録した途端に、ラインでつながってみたり、ブログでつながっている人とfacebookやツイッターで新たにつながることは日常茶飯事になっている。日本語で会話しているので、気づかないこともあるが、発信元を見ると、海外ということも多々ある。
 メールでもそうだったが、SNSでも、個々の生活の習慣・リズムの違いもあり、24時間情報が発信されている。夜型の人、朝方の人でそれぞれの時間帯で発信をしているので、いつでもどんな時間帯でも情報のやり取りが行える(相手が交換できる状態にあることが前提だが)。

2. リアルでも同じことが起こる

 これはネットの世界だけでなく、“リアル”の世界(現実の世界)でも起きる。ネットは仮想空間というだけでなく、その空間を使ってリアルに展開できる人間関係を構築できるからである。常に忙しくしている人が、まずネットで知り合い、忙しい合間を縫って年に1~2回、現実の世界で会って話しをする、なんてことが起きる。その際に交わされる挨拶は、「初めまして」ではなく、「お久しぶりです」になるし、会話も「この間、アップされていた○○の件ですが・・・」となり、具体的だったりする。
 ネットでつながっているだけなく、現実のつながりもネットでつながっている人同士が広がっていくので、それが網の目のようになっていく。
 久しぶりにネットでお知り合いになった方と話していると不思議な気分になることがある。共通の知人として出てくる人の名前が、短期間の間に増えているということである。

3. 狭さをどう生かすか

 最近は、自分の行動範囲を広げれば広げていくほど、意外なところで意外な方と出会う。イベント会場であったり、異業種交流の場であったり、近所のスーパーや飲食店ということもある。
 そのネットワークをどう生かすか。ひとつには、自分というものの器を大きくしていくことになる。肩書きや所属、出身は関係ないからだ。生身の自分で勝負するしかない。そして、「知っている」という状況から発展させていくことである。ネットワークのメンテである。実際に会って、話をする、悩みを聞く、悩みを話す、などの頼る・頼られることが重要となる。自分が構築したネットワークから上がってくる情報量はかなりの量になるのである。