【第171号】熟思の時間

1. 文書を作る

 筆者は仕事がら文書をつくる機会が多いが、一般的にも社会人としての文書作成の機会は少なくない。同僚に用件を伝えるメモから始まり、取引先とのメールのやり取り、報告書など日常的にあるし、間接部門になれば、社内通達文書なども作成しなければならない。
 文書は、字数制限がなくても「簡潔で明瞭」でなくてはならない。だらだらと何が書いてあるのか判明しない文書では困る。結論から、ということになれていないと、どうしても理由や原因に力が入ってしまい、わかりにくい文書となることが多い。
 まず、結論を述べる。そして、起承転結を意識して、理由や原因、その結論に至った過程を添えることがポイントである。
 また、メールなのか、紙媒体なのか、口頭で読み上げる文書なのか、目的によっても形式や重要ポイントが変わってくる。メールは飾り言葉などを省きながら、交友関係の深さに応じて文書の丁寧度を変える。

2. 文書を考える

 文書で難しいのは、面談などと違い、顔色など相手の反応を見ながら内容を変えることができない点である。よって、全体の調子を注意しないと、文句を言うつもりがないのに、文句を言っているような印象を与えたり、簡潔に表現するあまり、ぶっきら棒に感じる文書になってしまったりする。
 また、手書きで一定の長さの文書を書くのと違って、短い簡潔な文書を書いても心が落ち着くことがない。よって、感情が高ぶっている時にメールを送るのはトラブルの元になる。
 筆者が書いているコラムのような文書も一気に書き上げることが多いが、見直しはすぐに行わず、時間を置いて行うようにしている。一定の「熟成させる時間」を取っている。これは、一旦文書を書いても、しばらくはその内容を頭の中で推敲しているからである。

3. 自分の時間

 そのために、自分の時間というものを大事にするようにしている。人は、無人島で生活しているわけではないので、どうしても電話がかかってくる、打ち合わせをしなければならない、人間関係の構築のための交流の時間などがある。それらの時間は落ち着いて、文書を考えることができないし、バタバタしている中で、メールを送ると定型文ならいいが、そうでない文書は生煮え状態で送ることになる。
 良い文書を作るためには、「考える時間」、自分の時間が必要となる。その時間をどうやって捻出するか。ひとりになれる環境さえあればいいのであるが、意識しないと作れないものでもある。