【第159号】教えられない真実

1. 蓋をされる暗部

 先日、明治維新以降、第二次大戦終了後ぐらいまでの日本のインフラ整備の事情に詳しい方とお話をする機会があった。内容はなかなか興味深いものがあった。
 詳細はここで書けないものが多いが、日本と諸外国(特にアジア)の関係や、なぜその地域に特定の産業が盛んだったのかなど、やはり必然があるのだと感じた。しかし、これらの事項は一般には知られていないし、教育もされていない。当然、教科書には載っていない内容である。
 幾つか社会的な事件となり、表面化したものについて断片的に伝わっているぐらいである。都合の悪いことは歴史から抹消されるのである。戦後、かなりの重要文書が破棄されたのもそういうことである。権力者はえてして「真実を追究する」ということに熱心でなかったりする。自分の地位や権力を維持することが重要となるからである。これは会社の組織でも同じである。

2. 知らないからなかったではない

 他国の歴史教育を批判し、自分たちももっと正しく教わるべきだという議論がある。当然のことである。しかし、何が「正しい」のか、はわからない。真実はどこにあるのか。物事は現実、現場、現品の三現を押さえたときは、真実を見極めることができるが、過去、推測、痕跡からは、真実を押さえるのにも限界がある。
 人間は、自分の知っている範囲でしか判断しえない。だから間違うのである。ところが、自分の知っている範囲は狭い、という認識を無くしている人もいる。「井の中の蛙」なのであるが、それに気づいていない。井戸の外の世界を知らない。しかし、それは井戸の外の世界がない、ということにはならない。
 だから、新聞やテレビが発信する情報にも気をつけなければならない。マスコミの記者がすべてを把握しているとは限らないからである。

3. 背景を学ぶ

 様々な情報収集がビジネスの世界でも欠かせないが、背景を知ることが重要である。採用活動において、応募者の家族構成や生活環境など個人情報を聞くことは避けるべきとなっているが、社員となる人物の人格形成においてその成長背景を知らなくてどうしてその人物を把握することができるのだろうか。歴史という何時、何が起こったのか、ということを知る、どんな名産があるのか、どんなおいしいものがあるのか、といった知識を詰め込むだけでなく、文化として捉え、その背景を知ることが重要なのである。
 そうすることで、「必然」が理解できるようになり、それが「道理」の理解にもつながる。世の中のできごとは密接に関連しているのである。