【第158号】見ない方が悪い?

1. 自分に都合よい解釈

 FAXがビジネスシーンで当たり前になったころ、「送って終わりではない。必ず到着を確認すること」というチェックをするのが、習慣になっていった。
 メールでの情報をやり取りするようになって久しい。それでは、メールは送ったままでよいのだろうか。プライベートなことであれば、見る見ないは送られた方の都合もあるだろうし、送った方の意識のレベルもあるだろうから、強制的に確認する必要はない。しかし、ビジネス上であれば、送った側の確認も必要となる。ここで自分に都合のよい解釈になってしまっては問題である。「メールは送っても見ない可能性がある。必ず確認すること」と言っている一方で、メールの内容に「返答がない場合は、了承したものとします」となっていたりする。重要なメールについては、別途電話連絡があると油断をしていると、いつの間にか知らないところで、様々なことが了承していることになっていたりする。

2. 相手のことを考える(自分の当たり前は相手の当たり前ではない)

 これは、「自分のやっていることが標準」という陥り易い罠にはまってしまっているからである。人間、自分の世界がどうしても常識であると見てしまう。それでは、非常識になってしまう。
 これを修正していくためには、常に「相手のことを考える」という点が重要になる。自分中心になるから、「何で合わせてくれないんだ」「何でわかってくれないんだ」になる。人間、得手不得手があるから面白い(というか、面白いと捉えてもらわないといけない)。相手のことが中心にあるから、常識の“ライン”がずれない。
 「らしさ」というのは、企業のDNAから来るものである。それは“○○所長流”“△△部長流”ではない。拠点格差、部門格差が所属長のキャラクターで決まるようでは問題だし、それが“ローカルルール”を生むようでは最悪である。

3. お互い尊重し合う

 このコラムで何度も指摘しているが、社員同士(同僚・上司・部下)の間で、お互いが尊重し合える関係になることが重要である。お互いの発言、仕事内容、みんな一生懸命であることを認めてからスタートである。好き好んでヌケやモレや失敗をしているわけではない。本田技研で副社長だった故藤沢武夫さんも著書で「本田(宗一郎)も自分も完璧ではなかった」と述べている。
 失敗などは笑って済ませることができる。2度、3度と同じ間違いをしなければいいのである。
 自分という「モノサシ」で判断するのは簡単である。また、だから注意しないといつの間にか自分のモノサシで判断してしまっているのである。