【第104号】2011年の振り返り

1.『3.11』は何を変えたか

 今年の一番の出来事はやはり「3.11」と言われる東日本大震災であろう。筆者もその中心にいて、本当に様々なことを体験した。そして周囲の環境変化を感じることとなった。
 一番は、人間関係の変化だった。これまで挨拶を交わすぐらいの関係だった人と食料品の交換などをするようになる。仕事だけの関係だった人と家族同士の付き合いとなる。被災が軽微だった筆者ですら感じた変化は、家族や知人、住居を失った人はどれ程だったのか。
 そして、情報の価値である。新聞やTVなどから得る情報への不信感が増大した。これまで信じてきたものへの、そして今、聞かされることへの信頼の欠如。それが政治家や官僚への不信を増大させる一因となっている。

2.受け手である自分たちはどこが変わったか

 被災地にいる人々とSNS特にfacebookでの繋がりが大きいが、そこで交わされる内容とマスコミ(特にTV)で報道される内容のギャップが埋まらない。広がる一方である。美談になるようなこと、行政の遅れを指摘する一般的なことは報じられるようになった。しかし、説明不足や誤解を生むような説明、明らかな怠慢や欺瞞などはネット以外ではお目にかかれない。情報の正確さは発信する人への信頼性で決まる面はあるが、これほど違うのか、と感じることがまだまだある。
 放射能の飛散はまだ収まっていないし、避難生活も続いている。“被災地バブル”によるゆがんだ格差も見えてきた。こうなってしまった原因の究明もまだ終わっていない。何のケジメも付かないまま年が終わろうとしている。このままでは、きっと1年があっという間に過ぎてしまうだろう。

3.どういう課題が残されたか

 三現主義はビジネスの世界では当たり前のように大事にされることである。今回の震災では、それができない。現場が確認できない。放射能の問題、地盤沈下の問題、瓦礫処理の問題。現場復旧の妨げにもなっている。
 震災前もビジョン無き航海状態だった日本丸。更に大事になっているのに、税金問題も社会保険問題も、そして貿易問題もビジョンが見えない。
 皆さんの会社はどうだったであろうか。ビジョンが見えないとこのように漂流し、ムダに時間を浪費してしまう。
 2011年はこれまでの信じていたものが崩壊し、更に拠り所が不鮮明な状況となりつつある。丁度、この原稿を書いているときに大阪のダブル選挙の結果がでたが、この結果も人々が何か強いもの、はっきりしているものに頼りたいという願望が出たのではないか。