【第75号】「想定外」の意味するところ

1.「考える力」の不足

 3月11日の震災以来、「想定外」という言葉が新聞やテレビで頻繁に取り上げられている。「想定外の津波だったから」「想定外の揺れだったから」「全てがストップするのは想定外だったから」など。
 確かに想像を絶する津波だったし、被害になっているというのは事実である。しかし、想定の線引きをしたのは誰であり、その根拠はどこからきたのか。本当に「想定する必要」がなかったのか。
 これまで、コラムに何度も書いてきているが、「考える力」が足りないために、思い浮かばないのではないか。様々な角度から検討を重ね、これから起りうることを予測する。これは考える力が不足しているとできない。現在のわが社の問題点をあげよ、と質問され、考える力がない社員は5つぐらいしか出てこない。考える力がある人間は、20以上出てくる。

2.経験の不足

 もうひとつは経験が不足している。ルーティンワークに埋没してしまい、レールから外れたもの、規格外のものを経験することが少なくなっている。特に、安定志向の強い企業や業種、部門では発生し易い問題である。
 トライ&エラーが許されない企業体質では、余計に注意が必要である。「ミスがあってはならない」が「ミスは発生しない」になってしまう。思考停止状態である。
 初めてのこと、困難なことに積極的にチャレンジしていかなくてはいけない。経験不足の社員が増えることは、組織としての対応力が足りなくなってしまう。「考える力」が身に付かない原因のひとつでもある。

3.疑似体験の不足

 経験ができないのであれば、過去から学ぶしかない。人の体験を聞いたり、その体験が綴られた書籍に接するなどが必要である。
 しかし、それも量が減りつつある。まず、人の話を聞く機会を減らしてしまっている。これだけ多くの講演会があちらこちらで実施されているし、今ではユーチューブなどの動画サイト、あるいはUSTREAMなどのライブ配信などでも見れるにも関わらず、である。ビジネス幹部で、ユーチューブもUSTREAMも見たことがない、では通用しない時代になってきている。
 人は謙虚に学ぶ姿勢が必要である。「そういうこともあるかもしれない」という柔軟な発想が将来のリスクを軽減する。「そんなことはあるわけない」が、この世の中にいっぱい起っていることを学習すべきである。
 様々な不足というリスクにみなさんは対応できているだろうか。