【第281号】本当に無理なことなのか

1.自分で作っている限界

 この夏休み、子供と向き合っていると、いろいろなことを感じる。そして、夏休みの宿題や親子で出かけている中で、再度、認識したのが「能力の限界」という点だ。楽しい遊びの時間。子供は本当に限界を“忘れて”いる。今年はいろいろと初めてチャレンジするものが多かった。初めての釣り。娘は最初のころ、釣った魚を針から外すことが“できなかった”。でも、ワクワクして楽しんでやっていると、次のステップに行きたくなる。そのうち自分で外すようになった。足のつかないテトラポットまでの遊泳も最初から“できない”とは言わなかった。一枚のボディボードに大人5人と子供1人。もちろん、浮き輪などない。足のつかないところへ行く事自体初めてだ。それでもチャレンジできる。

2.「できない」のか「やりたくない」のか

 上記のように「やりたい」気持ちが強ければ、最初から“できない”という発想はない。つまり、多くの場合、“できない”より「やりたくない」気持ちの方が強いのである。大人になると体裁が気になってくる。「失敗したらどうしよう」「バカにされたらどうしよう」「批判されたらどうしよう」「笑われたらどうしよう」。若手の社員は若手なりに、バカにされたくない、なめられたくない、という気持ちから「わからない」と言えない。ベテランはベテランの意地から「わからない」と言えない。というのと同じである。しかし、本当にやらなくて済むものなのか。どうせやらなくてはいけなくなるものが大半なのである。「やりたくないなぁ」なんて思いながらやっても成果はあがらない。結果、やっぱり無理だったになる。

3.「できる」と思うことがスタート

 ならば、最初から「できる」と信じることだ。そして、やり切った時の事をイメージする。子供の「無邪気な」心と同じである。先日、娘とジョギングをした。いつもは5キロ走るのだが、娘といっしょなので、少し短くして2.5キロのウォーキングと1.7キロのジョギングに切り替えた。ウォーミングアップの終わりに「本当に走るの?」と不安そうに問いかける娘に「そうだよ」と答えた。いざ走り始めると思ったよりペースが遅かったのか「こんなんでいいの?」と言うので、こう返した「これ以上早いともたないよ」。ただ、安心したのは、娘は辛い(できないかも)というイメージから楽チン(できる)というイメージに変わっているな、と思えたこと。結局、娘は、初回にも関わらず、1.7キロを走り切った。「可能性」を信じよう。