【第316号】常識の怖さ

1.かさぶたのように増える

 常識というのは、経験を積み重ねるほどに増えていく。それは“かさぶた”のように増える。人生における常識、仕事をしていく上での業界内での常識、それらは、自分だけでなく、「集団」の中でも蓄積されていく。“かさぶた”で覆われた外側からは見ることができるが、元の姿は見えなくなってしまうのだ。本来、常識というものは、時代と共に変化する。極端な話し、去年常識だったものは、今年は非常識になってしまっているものも多い。しかし、我々は常識というものは、「変化しないもの」と錯覚している。だから「こんなことはやっても意味がない」「こんな目標できるわけがない」「景気が悪いから売れない」と言い訳をしてしまう。

2.トライする前のチェックリスト化

 変化しないもの、という思いから、それは「新しいもの」にチャレンジする時のチェックリストとなってしまう。「経験に照らし合わせてどうか」「彼の能力からみてどうか」「商品の特性からみてどうか」・・・。全て前提条件から変わっているのに、常に同じチェックリストで判断しようとする。これでは、新しいものにチャレンジ出来るはずがない。挑戦する前から、出来ないという烙印を押そうとする方向にベクトルが働くからだ。新しいものを生み出す人や会社は、常識に捕われていない。あえて非常識にチャレンジする。もし、チェックリスト化されているなら、「×」の項目が多ければ逆に実行する、というのも面白いかもしれない。「常識破り」の結果が生まれる可能性がある。

3.見たくないもの聞きたくないもの

 「常識」で覆い隠そうとするものは、「見たくないもの」「聞きたくないもの」である。つまり、「やりたくない」のである。新しいもの、経験したことがないもの、常識では判断できないもの、はそれらにトライする時に不安がつきまとう。何が待ち受けているか、わからないからだ。失敗、困難、非難、挫折、苦悩、ネガティブな印象が思い浮かぶ。調和を重んじる文化の中では、和を乱す不安に対する抵抗は大きい。しかし、そこを突破しないと、次のステージは見えてこない。突破力のある人材が少なくなった。営業における新規開拓、製造業やサービス業における新商品開発、会議等における反対意見を述べる社員など。多くが枠の中に収まってしまっている。自分たちが作った「居心地のよい」常識という枠の中に留まっている。それでは、変化についていけない時代になっている。