【第304号】覚悟

1.決めることは覚悟

 人生の中で、仕事の中で、人は決断することがいくつもある。ところが、決めたつもりになっているだけのものも多い。つまり、実行に移されないものだ。「やる」と決めても、あとから「やるつもりだった」になる。なぜそういうことになってしまうのか。本来、決めるときには、『覚悟』が必要になる。しかし、覚悟せずに「やろう」と決めても楽な方に流されてしまう。「居心地の悪いところ」へ踏み出す覚悟があって初めて、実践に移れるのだ。都合の悪いこと、耳に痛いこと、人に言ったら機嫌を損ねること、実践していくといろいろ避けたいことに遭遇する。『覚悟』があれば、それに立ち向かえる。しかし、『覚悟』がないと、どうしても逃げたくなる。そして逃げてしまうのだ。

2.育てることは覚悟

 人を育てることも同様。最近、企業の中で、そして教育現場で、また家庭で人を育てられないと言われる。それは、企業の中の教育担当者、学校の先生たち、家庭の親たちに『覚悟』がないからなのである。「徹底的に向き合う」覚悟、「最後まで話しを聴く」覚悟、そして「最後まで見捨てない」覚悟、がないのである。育てる側が途中で諦めてしまう。「彼らは育たない」「いくら言ってもわかってもらえない」「覚える気がない」など、言い訳は幾らでもできる。しかし、『覚悟』を決めたらそんなことは関係ない。ヘレン・ケラーとサリバン先生の関係を思い出してもらいたい。自分たちが育てようとしている対象は、ヘレン・ケラーほどの高いハードルを目の前にしているのだろうか。『覚悟』が問われている。

3.売ることは覚悟

 そして商売でも同じことなのである。『覚悟』がなければ、売上は作れない。この商品を誰に届けたいのか。“絶対に”必要としている人がいるのであれば、その人に何としてでも届けなければならない。その思いが売上に繋がる。その「何としてでも」という『覚悟』はできているだろうか。景気が悪いと言われるようになると、「売れればラッキー」とか「安ければ買ってくれる」とか他力本願になりがちである。しかし、本来は違う。何としてでも必要な人に届けるという『覚悟』があれば、必要な人は見つかるし、その人は買ってくれるのである。目標を達成する人と、達成しない人の差はここにある。以前、コラムで、「石にかじりついても」という言葉が死語になってしまったという話しを紹介したが、その思いで仕事に取り組まなくてはいけないことは変わっていない。