【第319号】空気で動く怖さ

1.動機なき行動

 どうしてそういう行動を取ったのか?、を他人に聞かれても、説明できない人が増えてきている。行動のきっかけになったことが、希薄なのか、どうでもいいことなのか、とても曖昧なのである。今回の都知事の辞任劇。ここまで盛り上がったのはなぜか。批判している都民、国民の多くは、「けしからん」とは思っていても、どこがどうけしからんのか、ちゃんと説明出来ない人も多いのではないだろうか。結局、わかっていないことが多い。つまり、結果的に「悪かったのか」「正しかったのか」誰も判断できないのである。みんなが「けしからん」と言っている、テレビ・新聞が連日報道している、という“空気”が、「けしからん」の思いの原因となってしまっている。

2.目的なき行動

 職場における“空気”、学校における“空気”が、多くの人の行動を決めている。どれだけの人が、「問題の本質」を捉えているのだろうか。現在の経済状況にしても、「景気がいい」という人と「悪い」という人がいる。それぞれに確認しても、きちんと数字を上げて説明できる人はいない。職場などでも、その場の雰囲気で、対応を決めているので、動機がないだけでなく、目的も不明瞭になっている。その“空気”を作り出しているのが、「前例」であったり「思考停止」であったり「誰かの指示」だったりするのだ。クレームが発生したり、トラブルが発生した原因を探っていくと、どうも腑に落ちない。なんで社員がそのような行動をとったのか、特定できないのである。それは結果として“空気”で動いているのと同じになる。

3.「なんとなく」

 特定できない理由は、「なんとなく」という答えが返ってくるからだ。「なんとなく」と言われてしまうと、これまでは「馬鹿にしているのか、なんとなくなんてはずはない。何か理由があるはずだ」と反論したのではないだろうか。しかし、「なんとなく」は存在する。それは、多くの人を動かしてしまう。工場の中が、いつの間にか散らかっていってしまう、職場の規律がいつの間にか乱れていってしまう。人間は、環境の動物であり、また「長い物に巻かれる」ものである。それでも、明確な動機や目的があればいいのだが、それらがなく「なんとなく」流されていってしまう。行動力が低下していく原因にもなる。怖いのは、それが、家庭や会社という限定的な空間でなく、どこでも感じられることだ。この状況では、どんな人を採用しても、「なんとなく」社員だし、お客様の不平不満も「なんとなく」になりかねない。