【第318号】当たり前とは

1.何が当たり前なのか

 よく「当たり前のことを、当たり前に」とか「出来て当たり前」とか、ごく自然に使っている「当たり前」ということばだが、あまり深く考えたことがない言葉かもしれない。当たり前の反対語は「ありがたし」である。「有り難し」、つまり滅多にないことである。この世に生まれてきたこと、朝普通に目が覚めること、今日1日事故にも合わず無事で居られたこと、家族と一緒に食事ができること、全て、本当に「当たり前」なのだろうか。夜中に突然死んでしまうこともある、交通事故で亡くなる人もいる、家族を失う人もいる。本来は全て「有り難し」なのである。だから「失って初めて知る」ことになる。家族の大切さ、健康の大切さ・・・

2.感謝なき行動

 日々、起きていることを当たり前と思っていると、どうなるか。「やってくれて当たり前」「食事を作ってくれて当たり前」「挨拶してくれて当たり前」「助けてくれて当たり前」になってくる。そこには「感謝」はない。「やってくれてありがとう」「食事を作ってくれてありがとう」「挨拶してくれてありがとう」「助けてくれてありがとう」、全て有り難いことであり、感謝すべきことなのである。昨日1日、どのくらい「ありがとう」を口にしたか、今日1日どのくらい「ありがとう」を口にしたか。10個以下なんてあり得ない!(笑)普通に生活していれば(無人島であっても、食べられるものを見つけたら「ありがとう」と口にしているはず)、20個以上はあるはず。思いつかない人は、すべてを「当たり前」と思っているのである。

3.世の中を見渡せば

 「このくらい税金を使っても平気」「このくらいの火遊びは誰でもやっている」・・・。世の中で起きていることを見渡せば、今の自分があることを「当たり前」と捉えている人が、騒ぎを起こしている。「有権者の支持があっての自分。有り難い」「家族の支えがあっての自分。有り難い」と思っていれば、世間を騒がしている事件など起きていない。人の振り見て我が振りなおせ、ではないが、正しく自分を振り返っているだろうか。意識しないと「ありがとう」とは言えない。特に、親しい人間はハードルが高い。家族に対して、「ありがとう」を幾つも言えるようになっていれば問題ない。言えていないと自覚のある人は、まずは会社の同僚からスタートしてみる。習慣となっていない人は、意外と言えないことに驚くかもしれない。「当たり前」を「有り難し」に切り替えることは難しい。