【第311号】貧困な想像

1.改めて思う

 熊本での地震被害。本当に心が痛む。一刻も早い収束と支援の手が全ての人に届くことを祈るしかない。それでも、5年前の東日本大震災の中心に居た者として、改めて思うことがある。それはテレビや新聞での「報道」のあり方と、政治のあり方だ。報道でのあり方では、「こう見られていたのか」という思いだ。避難所では、停電していたことなどもあり、テレビの報道内容は見ることはできず、新聞も印刷や配布の問題から、ダイジェスト版のようなものしか読めなかった。そういう状況にいたので、被災地以外では、どのように伝えられていたのかわからなかった。今回は、そういう意味で、客観的にマスコミがどのように報道しているのか知ることができた。

2.評価のためにするのか

 そういう視点からみると、報道での検証や行政の対応は、本当に5年前から何を学んだのか、残念に思うこともある。災害への備えは市民の側、行政の側はどうだったのか。非難計画などは機能したのか。避難所の対応は訓練通りなのか。どうも万全だったようには見えない。5年前の自分たちと同じ思いをしているようにも見える。今回の対応を行政側から見ても、過去の政権の対応が非難されたから、トップダウンで行ったと説明しているが、地元行政との調整やボランティアとの連携などに配慮されたように見えない。自衛隊のヘリとオスプレイの利便性の比較も誰が見ても疑問に思う。被災者がどう思っているのか、困っているのか、何を必要としているのか、結局わかっていない面も多い。これも5年前と変わらない。

3.自分たちにできること

 自分の周りにも、知り合いを頼って現地へ入る人たちもいる。阪神・淡路、東日本
などの震災から学んだノウハウで、自立した支援だ。現地スタッフと連携をしながら、現地の負担を減らしながら、計画を立てて様々な方法で対応している。金銭的なものも同様だ。支援物資も日々変化していくので、細かく連絡を取りながら、ネットで呼びかけを行っている。情報も誰でもいいからというレベルでシェアするだけでなく、信頼できるネットワークを併用しながら、拡散させている。本当にこの連携とスピードは、進歩しているな、と感じる部分である。筆者も金銭的に支援させてもらったり、ボランティアの活動状況などの情報をシェアさせてもらったりしている。仕事も自己啓発も今出来ることを他人の目を気にせずに、精一杯やる。迷わないことである。