【第282号】何に意識を向けるか

1.今、何が起こっているのか

 このテーマでコラムを書こうと思ったのは、シルバーウィークの前。そしてシルバーウィークの最後に東京で筆者の師匠たちの講演会で聴いた内容がこのテーマと偶然に一致。周波数が見事に一致した。
 今、私たちに必要なことは、日常テレビや新聞で報じられることを覚えておくことではない。それは、あくまでも参考資料でしかない。そこには「事実はない」という前提でいるべきである。報じられている内容は、報じている側の見方、都合でしかない。それを見誤ると、企業として国民として準備しておくことを間違うことになる。多方面から見ないと真実は見えてこない。普段、「三現主義」を言っているのに、それを企業の現場だけに限っていてはもったいない。

2.自分が感じていること

 そこで何を感じているのか。「不安」なのか「悲しみ」なのか「怒り」なのか。それとも「楽しさ」なのか「嬉しさ」なのか。そもそも、それすら気づいていない事が多い。普段、自然に接していると、日本人の昔からの文化の深さを感じることが多い。俳句における季語をみても自然と普段の生活の関わりは深かった。それが、現代人はいつの間にか希薄になってしまった。五感もすっかり鈍っている人が多い。自分自身も今年の春に気づいてから、鈍らないように風や日の光、月の満ち欠け、道端に咲く花などに注意を払うようにしている。いわゆる「勘」というやつである。決算書における粉飾を見つけるのも、「勘」が役立った。商談をしている中での「キーワード」も、経験から来る「勘」から見つけられている。

3.自分の頭で考える

 最終的には、人から聞いた事、マスコミから仕入れた情報を自分で分析して、どう「考えるか」が重要となる。どんなことも一旦は、良い意味で“疑ってみる”ことが必要なのだ。そして、それを悲観的に捉えない。どんなピンチも「何をここから学べるのだろう」と考える。成功した人の話しを聞くと、共通しているのは、この発想である。そして、自分の頭で考える力である。「人から言われたから」「人から指摘されたから」では、結果に責任を持てない。自分の頭で考えて、自分の心の部分である「真」の部分で決断しないから、後で後悔する。ぶれない、流されないのは、この自分の中心部分で決断するからである。毎日起こることを、自分の経験としていれば、2〜3年であっても十分の数になる。つまり10代、20代であっても「生きた勘」を使いこなせるのである。